みたもの備忘録

ジャンルを行き来するオタクの妄言。たまにまじめなこと

あやめ十八番「ゲイシャパラソル」(再演)

一年ぶりのブログですが生来の気持ち悪さを発揮した文章になりました。

初演も行きましたけど、けど、まさか、再演でこんなにズブズブに絡めとられるとは思わなくて、今窒息しそうです。ので自分の息継ぎのためにまとめます。ネタのバレ満載ですし読みやすさは考慮していません。Twitterでつぶやいたことも重複してます。オタク的文章が苦手な方は見ないでください。







やはしダブルキャストって好きです。ダズデビはあれはキャストほぼ同じで演出違い&入れ替えだったからあれもあれで楽しかったけど…ダブルキャストだと役者さんの元々持っている素質やそれぞれの役にたいするアンサー、間の取り方で出来上がるものがまったく違っておもしろい~~!


今回墨組から観たのですが、なんか、実写化!?みたいな気持ちになりました※最初から実写です。いや、実写感あるんですよ……ほんとだもん……ほんとにあるんだもん……
まずルオのビジュアルですね。サラサラの長い髪をひとつに結わえて黒のワイシャツ、ピンクのネクタイにグレーのスーツですよ。もちろんベストも着用している!!!オタクの好むポイントをバッチシ押さえてきてるビジュアルからして実写化おめでとうってかんじです。もともと実写なんだけど。(くどい!)

墨組の日色とルオ、それぞれ別ベクトルではあるけどめちゃくちゃ強いというか、こうと決めたらもう動かない感じがあるような…。だいすけさん日色のとにかく偉そうで歪んでて強気なあり方に対して、吉川さんのルオはこどもの無邪気さのまま大人になっただけで、自分にとても素直なかんじ。足腰強いというか……
紅組の初演コンビのほうは、塩口さんルオのあらゆるしゃべり方やら仕草から人を食ってる感じがあって、和知さん日色や堂島の翻弄されっぷりがより際立つような気がしました。個人的にね。日色が何言っても暖簾に腕押し柳に風、という感じで、笑いながらひらひらと逃げていくような、そんなイメージ。塩口さんルオもビジュアル最強……あの髪型にピアスが似合う……成金感をビジュアルから補強してくる……


村上さん大呉、あまりにも包容力が抜群で、墨組の大呉と仇吉は恋に恋する!というよりは穏やかさが前面に出ていたかも。それもまた好き!!!!!良い!!!!!!

紅組、美斉津さんの大呉がでてきた瞬間にヒュッてなって……このひとを贔屓にしててよかったと心から思いました。いやヒヨッコなファンなのでそんな偉そうなこと言うなって話なんですが、でも、やはり存在そのものの説得力がすごい。指先ひとつ、合いの手ひとつ取ってもすべてがこちらを納得させてくるというか…バチッとピースがはまるというか。


わたし、お芝居を観るようになって、そのなかで好きなものとそうでもないものとを分けて行くなかで、説得力というのが個人的な好みとして大事なポイントなんだなと思います。
いくらぶっ飛んでるキャラ付けだろうと、現実的なキャラだろうと、板の上では等しくしっくり来るように、実在感のレベルを上げるというか、いわゆる「解像度を上げる」ってことだと思うのですけど……それが出来ている役者さんってすごいな~~と心から尊敬します。
普段生きているときですら自分の身体ってぜんぜん思う通りに動かないのに、自分でないなにかになってそれを観客に納得させるってすごいことだと思う、ってのがここ最近の思考における個人的キーになっています。


それと、初演のゲイシャパラソルで小口さんと石田さんの声にとてもとても惹かれて、今回もとても素敵な演技でした……小口さんは鈴を転がすような、石田さんは清冽な水のような……静かな台詞でとても生きてくるお声だなぁとしみじみ思います。声フェチ。
初演のときに書いたのが、わりと感情の盛り上がりが大声で表されてしまってる気がして、静かな爆発をもっと観たいと思っていた(そこは煙夕空で観られたと個人的に思ってる)のですが、今回箱が大きいのとか、再演であることとかが関係しているかは分からないけれど、より好みの方向になっていたように思います。以上素人の意見でした。


演出?空間の使い方?もよかった~~、初演は正直あの人数で芝居回すには狭すぎたのでは…と思ってたんですが、今回広くなって、間の取り方とかはむずかしくなったかもしれないけど、特に同時進行のときとかそれぞれの関係性が分かりやすくなってた気がします。より洗練されているというか。ライトもそれを助けていて、ダズデビのときもそうだったけど、ほんの少しの光量や角度の違いで、いま観るべきポイントを指し示してくれるライトだったなぁと思います。
「おもらいさん」の出てくるところで青い電気が付くとき、昔の蛍光灯みたいに一瞬バチバチってなるのが演出としてやってるのかわからないんですが好きです。こう、何かやばいものが現れたな、ってときのザワザワする感覚に合ってる気がします。


まさかここまで墨組のルオに囚われるとは思わなくてびっくりです。もうそこばっか観てしまった。
初演メンバーが~とか新メンバーが~とかでなく、その役をその役者さんがやるとそうなるという必然性というか、それぞれの組のカラーが見事にパッキリと見える公演でした。どっちもまるきりゲイシャパラソルではあるのに、あそこまでちがうんだな~。

追記:
14日マチネの墨組も急遽追加して観てきました。購入した舞台写真のセレクトに趣味が出過ぎている。
今回はR列のめちゃくちゃ端だったので、普段は見えない角度からの演技が見えて(ルオがフーにこれ言っていい?って振り向いて確認する顔とか、ルオが仇吉にビンタされた後の顔とか※ピンポイント)、とくに村上さんの大呉の顔が結構よく見えて、ああここではそういう顔をしていたのか……とボロボロ泣きそうになりました。読める、なぁ、書けよう、お前にも!(号泣)
あと楽隊(とくに吉田兄弟)の手元もよく見えました。謎の筒とか謎の太鼓とかけぶるゆうぞらのときのあれとか。ゲイシャパラソルは既存の曲のアレンジですけど、それでもやっぱり唯一無二の音楽を鳴らしてくるからすごい。


ほんとにこの一週間、ゲイシャパラソルのことばっか考えてて、このブログもかなりちまちまと更新続けてて、好きな舞台をリアルタイムで観られる幸せを噛み締めています。
あやめ十八番としての公演は次は一年後とのことですので、気長にお待ちしております!

あやめ十八番「ダズリング=デビュタント」観劇

こんばんは。そろそろ初夏じゃない?と思っている暑がりなわたしです。

週末を利用し あやめ十八番「ダズリング=デビュタント」西洋画版、日本画版2パターンを観てきましたので以下ネタバレ個人的感想をば。
ちなみに大テーマとか裏テーマとかを考察したり読み解くことができない人間なので、それはもう煩雑で感覚的な覚書です。ほぼ箇条書き。




霓裳羽衣における性別逆転(男性による女役)はあまりに自然だったけれど、ダズデビ日本画版における男女逆転は不安定さにより物語の推進力になっていたような気がします。
性別だけでなく、横文字なのに着物だったりとか、衣装のちぐはぐさだったりとか、そういう違和感が積み重なってこちらの脳みそにバチバチ刺激を与えてくるというか。
こりゃ西洋画版から観たほうが良かったなと思いましたが仕方ないそういうこともあるよね!!!


舞台のつくりに関しては照明が上手いな~~と終わってからしみじみ思います。ほんの少~しの明るさの差なのに、ちゃんと今クローズアップするべき、注目すべきところはここだよ、と導いてくれる。だから場面転換も分かりやすかったのかも。

音楽はもちろん最高!!です。テーマ曲は西洋画版のほうが不協和音なかんじがしましたが耳が悪いのであてにしないでください。単純な好みだと日本画版のほうがすきです。


エミーユの差異について個人的なあれこれ。

日本画版のエミーユはこちらに何も読ませてはくれない、ただ教会として存在し、こちら側の懺悔を黙って受け入れる、無機質なかんじ。
だからこそ石田さんの軽やかで透明な声がすてきです。(石田さんはニセロン男爵婦人のときもめちゃめちゃめちゃ好みの演技をされていて、今回でとてもファンになりました)

西洋画版のエミーユは分かりやすく包み込んでくれる女性性と母性を感じる、
日本画版よりも赦しを積極的に(というと語弊がある?)与えてくれるような。だからわたしたちはエミーユにすがってしまうのです。
もりこさんのさばけた感じが出ているのかもしれない。


ラスト近くのマオの懺悔のシーンは、音楽の盛り上げかたと台詞の勢いがぴったりだったためか、マオの感情がこちらに洪水のように流れ込んできて、涙がぼろぼろ流れました。
ここ台詞がいいんだよなぁ~~~~!「殴るのも……しのびなくて、」という言葉にどれだけの思いが隠されていたのだろう、とか考えてしまう。


カトリーヌとポーリーヌに待つ未来がほんとうのさいわいにあふれたものでありますように。と願わずにいられないです。

Fate/stay night 始めたよ

あと半月で社会人二年目なことに気付いたのと仕事が進まないのとで白目を剥いているゆんかわです。

そんな現実がつらくてソシャゲに時間と金をつぎ込んでいるわけですが、FGOの6章が進まないよ~と友人に言ったら「スマホFate/stay nightできるしFateルート無料だからやれ」と言われ、スマホの容量をなんとか空けて始めましたFate/sn。

前述のとおりFGOをやっているし、Fate/zeroのアニメ版は大体見ていたのでFateシリーズが面白いものだということは既に分かっていたのですが、いかんせんPC版はすけべシーンがあって家族パソコンではできないし、ゲーム機は我が家にそもそも無いしで二の足を踏んでいました。
そこに舞い込んだスマホアプリ、しかも1ルート無料。よーしおばさん頑張っちゃうぞ!

というわけで以下ネタバレもりもりなFateルートプレイ感想(の羅列)です。




なんか、士郎にまっっったく感情移入できないままFateルートが終わりました。なんで彼はあんなに常に怒ってるのかな?
あと士郎を指して「自分の命が勘定に入っていない」というのが作中で何度も否定的に言及されますけど、それそんなに悪いこと、歪んでいることなのかな~と私は思ってしまいます。そのへんUBWとHFでわかるのかな。

廃墟での魔術回路の移植?の場面、あの状態の二人を前にスヤスヤ眠れる凛ちゃんが一番強いのではないか?下手したらすけべ案件ですよ!?やだー!!

前半で選択肢ミスるとちょいちょい出てくるイリヤ、最初はともかく、五回くらい見ると出てきただけでホラーです。こわい。タイガー道場のブルマなイリヤはかわいい。

基本的に魔術師およびサーヴァントは一般人と思考回路がちがうのでとんでもないことサラッと言いますけど、それが善だとか悪だとかではなく、単純に価値観の違いなんだろうなと分かるのが良いです。

士郎側のエピローグがかなりあっさりしてて、これでおしまいか!?と思ったらアルトリアの最期もやってくれてとても泣きました。別れの寂しさより解放してあげられた安堵。解放されたアルトリアを見守る人が居てくれてよかった。

通勤時間すべてつぎ込むくらいには面白かったのですが、3ルート全部をやらないとダメなんだろうなということがひしひしと伝わってくるくらいエピソードがすっぽ抜けてる印象だったので、給料日がきたら素直に課金して残りのルートを解放します。

花組芝居「泉鏡花の夜叉ケ池」感想その2(追記拡大版)

二夜連続こんばんは。
前エントリで花組芝居 ぼろぼん忌「泉鏡花の夜叉ケ池」感想を書いたのですが、一日経って読み返したら思っていた以上に日本語としてダメダメで恥じ入ったため、追記で済まそうとしていたものをまるまるひとつのエントリにいたしました。

えー今日の私は昨日と違います。何がというと泉鏡花の原作を読んだのです。偉い!(偉くない)

戯曲、高校生のときにハムレットを読もうとして断念して以降、素読するもんじゃないなと避けていた(外国の戯曲は訳が良くないとかそういうこともあるだろうので泉鏡花とイコールでは語れないですが)のですが、舞台に現されたものを観てきた後、学円、晃、百合さん、白雪姫、人びとやばけものが花組芝居の役者さんの声で、ころりころりと歌うように語る音が聞こえてきました。

戯曲はやはり演じられたものを見るのが良いのだろうなと思いつつも、でも初演の時は前例がない訳で、脚本家演出家そして役者はあのそっけない文から情感豊かな芝居へ仕立てるのだから、ハァすごいことだなぁとしみじみ思うのです。


話をお芝居のほうに戻しますと、何やら観客も踊らされるぞと色んな人が口々に言っていたものですから身構えておりましたら、途中でキャンプファイヤーのフォークダンスみたいなことを一列目のお客さんがさせられていて、前に座れば良かったと後悔したことは言うまでもありません。
あそこで観客参加をするとともすれば安くなってしまいそうなのに、楽しいながらもその一瞬後にはまた芝居がそこにあるバランスがすごいものだわと感じました。



それと、座長の白雪姫、一日経ってみてやはりすごかった、としみじみ感じ入った話。
ひとのごとき恋心もありながら、常に背筋が凛として、指先のかたちまでもかみさま然とした白雪姫。特にラスト、釣鐘が落とされ地震とともに水がごうごうと池から溢れだす場面、人ももののけも皆が魚となって姫様の周りをぐるぐるとしている、その中心で姥へ語りかける際のお顔がとても優しくて、何故か泣きそうな気持ちになってしまう力がありました。

晃と百合さんは死にましたけれど、夜叉ケ池から溢れ出した水のなかで魚になれたのでしょうか、姫様と共に剣ヶ峰へ行けたのでしょうか。そうであってほしいな。

花組芝居 ぼろぼん忌「泉鏡花の夜叉ケ池」

芝居の感想エントリがひさしぶりのゆんかわです。
年末の霓裳羽衣の感想を書きそびれてしまったのにこっちは書くのかよ!という感じですが、取り急ぎ。

実はこの演目、やるのは知っていたのですが仕事の都合などで観に行くつもりがありませんでした。ですが、友人が面白かった!とオススメしてくれた&たまたま休みが取れていた為、ええーいと突発でチケットを取り本日参りました二子玉川セーヌ・フルリ。初めてだー。
以下多少ネタバレありの感想です。


最初がお米をとぐ音から始まったもんだから、あらあらしんみりとしたお芝居なのかしらん……と思っていたら、最終的にみんなで盆踊りをしていました。
今回は坊屋組だったので百合さん役は二瓶さんでしたが、愛らしくて色気があって、まさに百合のごとく舞台に咲いておられました。実は二瓶さんの演技は霓裳羽衣で初めて拝見、今回は二度目でしたが、無垢な少女の演技の説得力が半端ではないなぁ……。

小林さんも霓裳羽衣ぶり三度目くらい、芯の通った凛々しいお声とインドの神様のごときお顔がめちゃくちゃ好みだということが発覚したので、とても嬉しく観劇いたしました。かっこいいな~~~。死ね、死ね、死なぬのか!のところが特に好きです。

桂さんは職場の人に似ているというごく私的な理由により観ていて何だか照れ臭かったです。それはさておき、序盤でおちゃらけた顔ばかりしていた山沢さんが、ラストで萩原さんに時間を告げる所、その後ふたりの亡骸に手を合わせるときの顔と声音がとても好きでした。

座長の白雪姫の美しさったら!化粧してはいるもののほぼすっぴんで普通の男性のお顔なのに、歩き方指の動き声音すべてが美しい人ならざるお姫さまでした。舞の見せ方も余計なものがない分、白雪姫のかみさまとしての役割といち個人的としての恋心が直に伝わってくるような。

植本さんがとにもかくにも自由人で、場をやたらと引っ掻き回しては風のようにさらりと去っていくものだから、観ているこっちどころか役者陣まで苦笑していて、とくにいじられてむくれている二瓶さんがとても可愛らしゅうございました。二瓶さん、原川さんにもいじられていたね。

音楽はいい意味でトンチキな、昔っぽいこもった録音で良かったです。基本的に行進曲みたいなズンチャズンチャな感じで、近代日本の話なのにばけもの?のみなさんの鳴り物もあいまって不思議な空間に。

不勉強なので原作を読んでおらずよくわかっていないのですが、最後のあのゴオオという音は雨だったのでしょうか、それとも洪水だったのでしょうか?最終的に人もばけものも生き物皆がおひぃさまと共に水の中で踊り、舞台の周りをぐるぐると回っているところが何とも美しかったです。

実は花組の公演は夢邪想しか観ておらず、今回二度目だったのですが、突発で観て良かったです。
終わって階段を上がり、まぶしい夕日を浴びながら「楽しかった!!」と思えた幸せな日曜でした。

映画「この世界の片隅に」 陳腐なる感想

お久しぶりです。あやめの感想を書きたかったのですがひと月経ってしまったので断念したゆんかわです。日にちがありすぎて他人の感想と混じってしまった…。

ので、今回は観に行きたてホヤホヤの「この世界の片隅に」の感想です。
舞台は行くくせになぜか映画を観るという行為が本当に苦手な人間なので、行くべきと思いつつもなかなか重たい腰を上げられず、年明けになってしまいました。
どういう内容、どういうスタンスの映画なのかはTwitterなどでぼんやりと把握していたのですが、決定的なネタバレは踏まないように頑張っていたので、物語に対してはまっさらに向き合えたかな~~~と思います。
観終わったあと、涙をボロボロ流しながら脳みそをフル回転させたのですが、どーーーしても陳腐な言葉しかでて来なかったので、開き直ってブログにします。
ちなみに序盤からラストまでのネタバレ全開なので観てない方は今すぐUターンをお願いします。

全体的な感想

いつだったかTwitterで、のんちゃんの演技がどんどんすずさんそのものになっていく、みたいな感想を見かけて、本当にその通りだったな………と思いました。本職の皆さん(細谷さんとか最高に優しい声だった好き)はもちろん完璧なんですが、のんちゃんって正直滑舌そんなに良くないし(批判ではない)、広島の出身でもないし、浮いてしまいそうな気がしてたんですが、観ているうちにそんな感覚はなくなって、すずさんがしゃべっているなあ、という気持ちだけになっていました。すずさんのぼーっと感とのんちゃんのぼーっと感がリンクしてたのかしら。

随所に挟まれる、クスッとするシーンが、間の取り方とかが絶妙で、厳しい時代の中の少し気持ちのほぐれる瞬間ってあんな感じなのかな、なんて思いました。個人的に好きなのは憲兵に絵を見つかったあとのみんなが笑っている(すずさんだけがむくれてる)シーンです。いいおうちに嫁いだね……(誰目線なんだろうか)

あとすずさんと周作さんがちゃんとお互いに好き合っていて、慈しむように暮らしている、それだけで幸せで、防空壕の中で口づけをしている場面では泣くところではないだろうにめちゃくちゃ鼻をすすりハンカチで涙を拭っていました。ささやかな幸せにやられる。


「恐ろしさによる涙」が流れた

毎年夏になると、テレビでよく戦争ものの番組やってますよね。最近はCGの進歩で爆撃シーンが非常にリアルだったり、あと当時の写真・映像をカラーにしたりリマスター?をしていたり、終戦から何十年後に生まれた私たちでもかなり鮮明な視覚イメージを得ることができるようになっています。
また、小中学生だと学校の行事でお年寄りの体験談を聞くこともあると思います。

でも、そういうものを見聞きしていても、個人的に恐ろしさというのはあまり伝わってこないと思っていました。グロテスクで悲惨で、血にまみれている戦争体験は、グロテスクで悲惨であるがゆえに、私のこの清潔で整った生活からは乖離して感じられました。「そうなったら嫌だなあ」くらいの感覚で、恐ろしさまではいかない、グロテスクな物事への嫌悪観止まり。
つまり、戦争による「恐怖」をあまり感じたことがありませんでした。

ですが、この映画で、人生でほぼ無いであろう「恐ろしさによる涙」を流しました。
Twitterでも言及しましたが、爆撃機の落とした爆弾が上の畑や家屋にダダダッと刺さる場面、それとすずさんとはるみちゃんがいる防空壕が空襲でゴオッと揺れる場面、このふたつのシーンは本当に「こわい」という感情から涙が出ました。

リアルなCGより、お年寄りの語る言葉より、あの飛んでくる爆撃機を大砲で打ち落とす、絵の具をカンバスにぶつけたようなあのシーンが、人生で一番「恐ろしい」戦争の場面でした。


技術?的な感想(素人だけど)

終戦のラジオ放送のあと、上の畑で泣くすずさんのシーンをみて、「そうか、このためのカメラワークだったんだな」と感じました。
まあバトルものでもないですし、カメラの位置は基本的に固定というかあんまり凝ったものではないのは当たり前なんですが、最初からずっと第三者的な、距離のあるカメラで、この場面になって地面の虫のような近さ、あぁ、と思いました。すずさんの感情がそれまでのどの場面よりダイレクトに流れ込んでくるような、そんな感じ。
(「二人分」のいもごはんのとこもやたらに強調かかってた気がするけどそれはそれ)



日曜の朝には少しばかりヘビーでしたが、観てよかった!と本当に心から思える映画でした。
映画は原作から色々なところをカットしているでしょうし、表現方法が違うとまた受け取り方も変わると思いますので、ぜひ原作も読んでみたいと思います。

当事者であり非当事者であること 「しまなみ誰そ彼」を読んで

お久しぶりです。
以前にもご覧いただいた方には分かると思いますが某ソシャゲの記事消したのでかなり間が空いてしまいました。


さて、今回は鎌谷悠希先生の「しまなみ誰そ彼」の感想、およびそれに付随する話です。


クラスメイトに"ホモ動画"を観ていることを知られた、たすく。
自分の性指向が知られたのではないかと怯え自殺を考えていた彼の前に、「誰かさん」と呼ばれる謎めいた女性があらわれた。
彼女は、たすくを「談話室」へと誘い…?

(あらすじより引用)

鎌谷先生といえばGファンタジー連載作「隠(なばり)の王」を思い起こす方は多いのではないかと思います。わたしも隠の王からファンになり、「少年ノート」「ぶっしのぶっしん」そしてこの「しまなみ誰そ彼」(以下、「しまなみ」)と追いかけてきました。
また、鎌谷先生はご自身もいわゆる「セクシャルマイノリティ」に属されていることを公表されています。(この「属する」というのがまた厄介なんですよね。それはしまなみ2巻の感想と絡めて後程)
ですので、しまなみ連載の報を聞いたときは、本当に本当に嬉しくて、楽しみで、待ちきれずにいました。

この作品を読んでみて思ったのは、読むことにこんなにも体力が必要な作品はなかなかないだろう、ということです。
「ホモ動画」騒動の翌朝登校したたすくのことをからかう男子、たしなめる女子と教師、その全てに含まれる意識的・あるいは無意識の差別的な響き、ばれた瞬間の心臓が飛び出すかのような吐き気と焦り…
あまりにも生々しいです。読んでいてもしんどくて、休憩を挟まないとこちらまでひきずられてしまいそうなくらいに。

わたしは、セクシャルマイノリティを描く物語は、得てして理想郷的になりやすいと思っています。
また、ゲイやレズビアン性同一性障害のように、「名前のついた、”わかりやすい”セクシャルマイノリティ」に偏ってしまうことも多いのではないかと思います。
つまり、「同性愛者(あるいは性同一性障害)が、社会から差別を受けても色々な壁を乗り越えていく」のような、ドラマチックな話。(もちろん否定しているわけではありません。ハッピーなほうがいいもんね)

でも、果たして、現実にわたしたちが向かい合う問題はそんなに単純化できるのでしょうか。
そもそも、「セクシャルマイノリティ」と言っても千差万別十人十色、象徴たるレインボーフラッグが表すように、性はスペクトラム(連続体)です。カテゴリー分けはもちろん便利ですが、そこからもこぼれる人たちはどうすれば良いのでしょうか。
しまなみ2巻でメインとなる美空さんは、男として生まれ、男であると自認していますが、女装をしています。
美空さんは性同一性障害というわけではなく、でも声変わりなど男性性が自分に表れることにひどく不安や恐怖を感じているようにも見えました。じゃあ、美空さんはなんなのか?


「僕のことなんか僕にもわからん。」
「誰にも。」
「なんにもわからん。」

(「しまなみ誰そ彼」2巻63,64頁より引用)

二巻では、たすくが美空さんと段々打ち解けていくさまを描いていますが、とある出来事により、美空さんは談話室へも顔を出さなくなってしまいます。

ネタバレになるのでその詳細は省きますが、そこまでこじれてしまったのは、たすくと美空さんがお互いに当事者であり、同時に非当事者であったからなのではないかと思います。

たすくは性自認が男で、男性が好きで、美空さんも性自認は男だけれど、女性の格好をしたくて、男性的な身体になるのを怖がっていて…

セクシャルマイノリティ、あるいはLGBTというくくりでは確かに二人は(もちろん同じ談話室メンバーの大地さんも)同じカテゴリの当事者なのかもしれません。けれども、細かくほぐしていけば最終的には、個々の人間しかいない、のでは?

たすくは、無意識にカテゴリで美空さんを見てしまっていたから美空さん本人が見えていなかったのかもしれません。こうすれば、こう言えば、こうなれば、○○というカテゴリにいる美空さんにとっていいのではないか、という思い込み。それが逆に美空さんを傷つけてしまったのではないでしょうか。
もちろんこの決めつけはたすくだけでなく、美空さんの側も、ゲイならこうなんじゃないですか、ということをたすくにずけずけと言っていたりします。

二人がお互いのことを属性や要素で見ることなく、ただ個別の人間であるということを分かるといいなあと思います。

次巻へのヒキも気になる感じですので、皆さん今のうちに買って読んでください、そして一緒に苦しもう!!!