みたもの備忘録

ジャンルを行き来するオタクの妄言。たまにまじめなこと

日記:あけまして

おめでとうございます。

 

1月2日からふつうに仕事をして、年が明けてから長期休みをもらって、明日からまたいつも通りの仕事の日々。

三が日は何だかんだまだ世間がお正月ムードで空気ものんびりしているけれども、7日を過ぎた辺りからシャバが普段通りのせわしない感じに戻ってしまって悲しい。

 

ブラック超身内企業から一般的な福利厚生のある企業に転職したおかげか、今年はわりかし前向きに新しい年を迎えられ、自分に投資するようなポジティブなことができている。具体的には運動不足解消のための縄跳びとか、少しずつ化粧品を買い集めるとか、そういったこと。

 

今年は去年までよりアクティブになりたい。近場でもちょくちょく旅をしたり、外に出るような人間になりたい。当面の目標。

日記:Aimer Hall Tourに行ったよ

久々の日記。

今日はAimerさんの全国ホールツアーの埼玉公演に行ってきた。ツアー途中で体調に少しトラブルがあったらしいのでドキドキしていたけれど、本調子とまではいかなくても素晴らしいパフォーマンスだったなぁとほくほくしながら帰路についた。 以下つらつらと感想。

 

本当にAimerさんは歌、というか音楽がうまい。わたしなんかは昔歌をやっていたときから音楽に振り回されていたので(どうでもいい情報)、Aimerさんのように自分の身体をコントロールしきって歌えるのが本当にいいなあと思ってしまう。

 

Black Birdを筆頭として、ライティングの演出が今回も神がかっていた。ああいうシリアスな曲は切り替えのハッキリとした、パキッとした演出が映える。(まさか炎がメラメラするとは思わなかったけど…)もちろんバラードのときの、初期を彷彿とさせる柔らかくて包み込むような、ちいさな灯だけで照らされる演出もよい。

 

Black Birdを歌うAimerさんが一瞬別人に見えたタイミングがあったけれど、そのときの表情が本当に普段のAimerさんの柔らかな表情とはかけ離れていて、歌への没入感がありゾクゾクしたなあ。

 

スピーカーに近い席だったからなのか、今回の音響の都合なのかわからないけれど、歌よりバンド演奏のほうが強かった気がする。後方席ならもう少し良かったのかもな〜。

 

ところであなたに出会わなければってライブだとキー上げてる?ように思うのだけれど気のせいかしら。毎回毎回イントロで吃驚してしまう。 →今日音源を聴いてみたら気のせいな気がしてきた。耳があてにならなさすぎる

 

 

 

 

 

日記:パーティーがしたい

とくに脈絡も何もなくパーティーがしたくなる日があって、今日がまさにそれだった。
いくつかツイートを読んでもらえばわかるように、わたしは別にパリピではないけれど、パーティーというものの空気感は結構好きだ。もちろん参加メンツにもよるけど……。

突き詰めてみるとパーティーそれ自体というよりはパーティーに伴う料理だの飾り付けだの、すなわち計画準備段階に発生する作業がわりかし好きな作業である、というそれだけの話なのだけれども。
特に結婚式はよい。ウェルカムボードとかペーパーアイテムとか料理のセレクトとか、楽しい作業が盛り沢山だ。わたしの求めるパーティー像。

しかし問題があって、わたしは結婚式どころか結婚すら予定がないので、わたしの望むパーティーの準備はいつまでたっても行うことができない。
じゃあプランナーになれば?と言われそうだけれど、わたしはとても薄情で他人の結婚式にそんなに親身になれないので、やっぱり自分の式がいい。

世の中に結婚式以外にそういうパーティーはないものか、と無駄なことに頭を使ってしまってねむい。本当にしょうもない。

日記:かげきしょうじょ!!6巻が面白かった

夏目友人帳のために帰りに寄った本屋で「かげきしょうじょ!!」の6巻が出ていることを知った。もちろん購入。今は白泉社のメロディ連載だけれど、ジャンプΧ連載のときから地味に継続して読んでいる(いつも飛び道具みたいな移籍だなぁと思う、というか元々ジャンプなのが謎だな…)。

こういうジャンルは「ヅカもの」とかいうのだろうか。宝塚歌劇団ならびに音楽学校をモチーフとした漫画群というのはこれまでにもたくさんあると思う。これもその係累だけれど、主人公の生い立ちに関連して歌舞伎も出てくる。そのふたつの絡ませ方がとても上手いな、というのが個人的な感想で、5,6巻はとくにふたつの比較……というか……違いと共通項の表現……?が上手いな……と思った。言ってることに自信がない。
というか、ことメインの登場人物の感情については紅華(作中の歌劇団)よりも歌舞伎のほうがメインなのでは……?と読み返してみて思ったり。

あとはこの漫画は「演技が上手い」ことの説得力がすごい。
漫画は作られたものなので「あいつ、演技がめちゃくちゃ上手い!」と登場人物が言えばそれはとりあえず作中での真実にはなるのだけれど、それとこっち側の読者が納得するかはイコールではないので、如何に「演技が上手い」ことをこっちに納得させるか、というのが難しいだろうな、と芝居ものの漫画を読んでいて感じる。


完全なるスターシステムで役者(トップスター)のキャラクターにあわせて作られる紅華の舞台と、役者如何に関わらず昔のまま、「型」を脈々と引き継いで演じる歌舞伎、さらさがこれからどのような芝居を作っていくのか。
オーディションでのさらさティボルトのラストの表情に込められたあらゆる感情を想像するとぞわぞわする。



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すごいネタバレ見解をかますけど、さらさは煌三郎でなく歌鷗の子なんじゃないかなと思っている。そっちのがじいちゃん怒るよな……みたいな。いやーん。

日記:Twitterアカウント往き来

今日は仕事終わって帰ろうとしたところで逆ギレ顧客からの電話をとってしまった。丁寧に対応したわたしの徳が積まれまくりだ。
最近は感情の振れ幅が大きい気がしていたけど、自分より怒ってる人と相対して(電話だけど)いたらわりと冷静になった。よくある話だけど。

わたしはTwitterのアカウントがみっつくらいあるのだけれど(くらい、とは、パスワードも何もかも忘れてインターネットの海に流されてしまったのがいくつかあるため)、メインふたつはわりと流動的に運用していて、なので探せば見つかるし結びつけようと思えばすぐにイコールで繋がるような感じだったりする。

緩いなりに自分の中では一応分けていて、このブログがリンクされているほうがオタク全般、もういっこは舞台オタク、みたいなつもりなのだけれど、結局どっちでも同じ話をしているので分けた意味がほとんどない。フォローフォロワーの違いくらいだろうか。

でもフォロワーが違って自分の名前が違うだけでずいぶんと違う人間であるように振る舞える。同じ事を話しているのに明らかに気を付けている部分が違う。暗示というものかしら。

ここまで書いて、最初に考えていたことと全く違う方へ進んでしまった気がする。たぶんこれは「ちゃんとした読める文章を書こう、公開しよう」という無意識の路線変更のように思う。 本当はもっと支離滅裂で目的がなく、それだからこそ素直な感想だったのに、一気にへたくそな文章になってしまった。エッセイが上手い人というのはすごい。

日記:勧められた作品を見る/読むこと

昨日よりさらにただの日記。もともと要約文が好きなのもあり、ですます調の文章が向いていないことを昨日やっと自覚。過去の日記がとても恥ずかしい。

今日はなんだか矢鱈と脚が怠い。特に歩き回ったわけでも、冷房の中でじっとしていたわけでもないのだけれど。

昨日の夜に「魍魎の匣」を読み終わり、そのあとすぐに「狂骨の夢」に取りかかる。寝る前と通勤往復の計3.5hくらいで電子版一冊めを読み終わる。これまでの感想として、憑き物落としまでの前段は起伏がそこまで大きくないので、眠いときに読むと眠さが余計に際立つ。でも面白いなぁ。

わりと友人が勧めてきたものを素直に読む/見るほうだとは思うし、それで嵌まることもよくある。紹介されて買うようになった漫画が棚にはたくさんある。自分でも直感で買ったりするけれど、まだまだ勘がにぶいらしく、打率はそこまでよくない。ここ数年の間、自分で買って素晴らしかったのは売野機子先生くらいかな。
ま、もちろん買いやすさ(入手しやすさ、巻数の少なさ、等)によっては何年も勧められたまま買わないものもあるけれども、そこも含めて縁かしら、と思ったりもする。


弟が布団の上で180度回転している。たぶん朝までにあと400度くらい回転するだろう。





2018-8-29

日記:読書家ではないわたし

ごく個人的な、風呂で考えてたこと。

中学生くらいまで自分は読書家だと思っていたんだけど、そんな読書家ではないということに高校生くらいで気付き、さらに好きな本を繰り返し読んでいたというだけで、総量としては読んでないんだよな…ということに、4年くらい前に気付いた。


わたしの家には本はあまりなくて、あるのは親のビジネス書と、芸能人のエッセー本、料理本、あと母親がいわゆる新宗教に近い団体にいるので、そこの本、それくらいしかなかった。これは今も(わたしの部屋以外は)基本的に変わらない。

わたしは中学生のとき弟が生まれるまで一人っ子だったし、前述の団体のあれそれで母親はよく出掛けていたので、自然一人遊びが増えて、絵を描くなり本を読むなりしていたんだけど、両親はそこまで本好きではないので、わたしもそんなにたくさんの本を買い与えられるような感じではなかった。
もちろん人並みには買ってもらってたけど、毎日違う本を読むほどの数はなくて、同じ本を繰り返し繰り返し、暗唱できるくらい何度も読んでいた。そうだ、ディズニーの白雪姫、プーさん、ミッキーの王子と少年(マーク・トウェインのあれですね)のVHSも叔父さんから貰ったので、それも台詞覚えるくらい見てた。

そういう癖になっていたのか、もう少し大きくなって町の図書館や学校の図書室でたくさんの本の中から借りて読むようになっても、好きな本とそのシリーズばかり繰り返し読んでいた。こういう読み方はよい面とよくない面があると思う。

それでも本を読むには読んでいるから、図書室にはしょっちゅう行っていて、なんとなく自分は読書が好きなんだと思っていた。ちなみに多感な中学生のときにシャングリ・ラ新世界よりを読んでしまったのは事故だなぁと思っている(disではないです)

大学生になってから、本は買うものの、課題の本ですらなかなか読む気になれなくて、こりゃ読書家でもなんでもないわ~と思い現在まで至る。わたしの部屋は2,3ページだけ開いて棚に差し込まれた本だらけ。漫画はすぐ読むんだけど…。


こういったことを考えると、趣味は?と聞かれて読書です、とは言えないなぁ、とか思う。もちろん相手は私がどんな本を何冊読むかなんて(読書家じゃないかぎり)わりとどうでもよいし、ただの世間話なのだけれど、趣味の話をするたびに謎の逡巡がある。