とりとめなく綴る

ジャンルを行き来するオタクの妄言。たまにまじめなこと

あやめ十八番「ダズリング=デビュタント」観劇

こんばんは。そろそろ初夏じゃない?と思っている暑がりなわたしです。

週末を利用し あやめ十八番「ダズリング=デビュタント」西洋画版、日本画版2パターンを観てきましたので以下ネタバレ個人的感想をば。
ちなみに大テーマとか裏テーマとかを考察したり読み解くことができない人間なので、それはもう煩雑で感覚的な覚書です。ほぼ箇条書き。




霓裳羽衣における性別逆転(男性による女役)はあまりに自然だったけれど、ダズデビ日本画版における男女逆転は不安定さにより物語の推進力になっていたような気がします。
性別だけでなく、横文字なのに着物だったりとか、衣装のちぐはぐさだったりとか、そういう違和感が積み重なってこちらの脳みそにバチバチ刺激を与えてくるというか。
こりゃ西洋画版から観たほうが良かったなと思いましたが仕方ないそういうこともあるよね!!!


舞台のつくりに関しては照明が上手いな~~と終わってからしみじみ思います。ほんの少~しの明るさの差なのに、ちゃんと今クローズアップするべき、注目すべきところはここだよ、と導いてくれる。だから場面転換も分かりやすかったのかも。

音楽はもちろん最高!!です。テーマ曲は西洋画版のほうが不協和音なかんじがしましたが耳が悪いのであてにしないでください。単純な好みだと日本画版のほうがすきです。


エミーユの差異について個人的なあれこれ。

日本画版のエミーユはこちらに何も読ませてはくれない、ただ教会として存在し、こちら側の懺悔を黙って受け入れる、無機質なかんじ。
だからこそ石田さんの軽やかで透明な声がすてきです。(石田さんはニセロン男爵婦人のときもめちゃめちゃめちゃ好みの演技をされていて、今回でとてもファンになりました)

西洋画版のエミーユは分かりやすく包み込んでくれる女性性と母性を感じる、
日本画版よりも赦しを積極的に(というと語弊がある?)与えてくれるような。だからわたしたちはエミーユにすがってしまうのです。
もりこさんのさばけた感じが出ているのかもしれない。


ラスト近くのマオの懺悔のシーンは、音楽の盛り上げかたと台詞の勢いがぴったりだったためか、マオの感情がこちらに洪水のように流れ込んできて、涙がぼろぼろ流れました。
ここ台詞がいいんだよなぁ~~~~!「殴るのも……しのびなくて、」という言葉にどれだけの思いが隠されていたのだろう、とか考えてしまう。


カトリーヌとポーリーヌに待つ未来がほんとうのさいわいにあふれたものでありますように。と願わずにいられないです。